嫌なことには必ず“ギフト”がある。中庸に戻る思考法

ディマティーニメソッド
中庸

気づけば1月も終わり!あっという間に時がながれましたね。
私の年始の目標、
・毎日瞑想とジャーナリング
・ブログを毎週更新しよう
今のところ続いています!やったね~

最近よもやま話が続いたので、
今日はちょっとディマティーニ・メソッドのお話を。

人生で自分の身に起こったトラウマ級にショックな出来事や
「ちょっと、なにその態度!?」 という日常のイラっとする出来事まで
怒りのレベルは様々なわけですが、

その自分にとってネガティブなことが起きて、
感情の波が立った瞬間。

裁きたくなるとき、自分を棚に上げてない?

怒りに身を任せているとき、
人は無意識に「相手を裁こう」としてるんです。

「そんなひどい言い方、許せない!」
「なんであんな態度とるのよ!」

でもね、
このとき頭の中では、
自分は完全なる“被害者”ポジションになってる。

だから誰かに、
「いやいや、あなたも同じことしてない?」
って言われると、
「えっ!?そんなひどいこと、わたしが!?してないし!」
ってなりますよね。

でも、ここが学びの入り口なんです。

たとえばあなたが感じた“嫌なこと”が
「無視された」だとしたら、こう問いかけてみてください。

「あなたは、誰かを無視したことがありますか?」

嫌なことが殴られた(=暴力を振るわれた)だとしたら
自分が誰かを殴ったことは?
物理的にやったことが人生で一度もないとしたら
「言葉の暴力」を投げたことは?

丁寧に見ていくと、
必ず“同じこと”を“同じだけ”やっている自分が浮かび上がってくる。

これを「鏡の法則」と言います。

そしてそんな自分を、自分や誰かが必ず見ている。

これを「透明性の法則」と言います。

そして、
そこに気づけた瞬間――

なぜか、怒りってスーッとおさまるんです。
同じことしている自分に気づいて、
そしてそれを誰かが見ていたと気づいて、
笑っちゃったり、ちょっとへこんだり。

振り上げた怒りの拳を、ばつが悪そうにそっとおろす自分。

嫌だったことには、実は“ギフト”が隠れている

自分も同じことをしていた――
そこに気づいて少し落ち着いたら、
もうひとつステップを進めてみてください。

「その出来事から、どんなメリットがあった?できるようになったこと、しなくてすんでいることは?」

「え、メリット?あんな嫌なことに?」
って最初は思うかもしれません。

でもね、どんなに嫌なことにも、
“プラスの側面”はあるんです。

たとえば――
誰かに強く怒られたことで、
もっと丁寧に伝えるようになった。
周囲のありがたさに気づいた。
同じミスを繰り返さなくなった。

その体験があったからこそ、
今の自分がある。
強くなれた。
優しくなれた。

そういう“ギフト”が、
こっそり届いてたりする。
ムキー!という感情に隠れて、
見過ごされているだけ。

ここに焦点を当てること。
それこそが、
中庸に戻るカギなんです。

まとめ:嫌なことは、ただの“マイナス”じゃない

誰かに傷つけられたように感じたとき、
まずは「何が嫌だったか?」を特定する。

そして、
「それ、自分もやってない?」と問いかける。

最後に、
「その出来事がくれた恩恵」
じっくり探してみる。

そうして見えてくるのは――

嫌なことも、
むかつく人も、
全部が“学びと進化のきっかけ”だったという真実。

それが腑に落ちたとき、
怒りはただの感情じゃなくて、
「わたしを成長させるナビ」になる。

そもそも、あらゆる出来事はニュートラル。
それを嫌なことと解釈したのは自分です。

光を当てると影ができるように、
マイナスとプラスは、認識した瞬間同時に生まれるんです。
片方だけという事はないのです。

埋もれていたポジティブを発掘することで
嫌な経験、というとらえ方がひっくり返り。

マイナス100の出来事が、
プラス100の恩恵で感謝に変わる。

プラスもマイナスもあったと認識できると
偏った感情が消滅し中庸に戻る。

自分の人生の足かせが一つ消えて・・・

はい、あなたはまた、
『自分の才能を開花させ、自由に自分の人生を選択していく手段』
を得ました!

テッテレー\\\\٩( ‘ω’ )و ////

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