先日、用事があって弟一家を訪ねた日のこと。
晩ごはんの時間になって、
リビングに集まる家族。
テーブルには、
温かいごはん。
湯気の立つおかず。
……なのに。
弟一家、
YouTubeショート動画をテレビの大画面で流しがら食べ始めました。
数秒ごとに追い立てるように次々と切り替わる場面とナレーションで
「絶対うまいラーメンの作り方」、
「究極の親子丼の作り方」、
などなど、エンドレス再生。
もう情報量多すぎだし
忙しすぎてごはんどこ入ったかわかんないよ!
・・・ですが、彼らにとってはそれが日常なので
黙々と箸が動くのであります。
おいおいおいおいおいおい。それ、目の前のごはんちゃんと味わえてる?
唐揚げを口に運びながら、
目は動画にくぎ付け。
耳からは
「ここで火加減が重要なんですよ〜」。
……いや待って。
今、食べてる唐揚げの火加減はどうだった?
衣サクッとしてた?
中、ジューシーだった?
うん、たぶん誰も覚えてないよね。
じゃあ、
動画の内容は?
ラーメン、
明日作れそう?
親子丼のレシピ、
覚えてる?
――無理ですよね。
いつもショート動画見ながらご飯食べてるの?
と思わず聞いてしまいました。
「そうね、ショート動画かNHKのニュースの2択だね」
・・・って振り幅広すぎだろがい!!!
全部やってるけど、何も残ってない現象
その光景を見ながら、
一瞬イラっとしたんですけどね。
……これ、
わたしもやってるわ
学び系の動画、
音だけ流して洗い物。
「これは一石二鳥、時間を有効活用~」
って思いながら。
で、
終わったあと。
肝心の学びの内容?
……あんまり覚えてない。
皿はきれい。
動画も最後まで再生。
でも脳内は、
ほぼ空。
一人ランチしながら読書。
本の内容はかろうじて覚えていても、食べたランチは全く印象に残っていなかったり。
マルチタスクって、器用に見えて一番コスパ悪い
同時にいろいろやってると、
効率良さそうに見える。
でも実際は、
脳はいっぺんに複数のことはできない。
同時にこなしているようで、高速で集中(体験)することを切り替えているだけ。
細切れだから、それぞれの体験をつなぎ合わせても結果密度がスカスカ。
ごはんは深く味わうことなく流し込まれ、
動画はBGMになり、
体験として残らない。
それってつまり、
人生が全部「薄味」になる
ってこと。
味覚も、感覚も、記憶も、
ぜんぶ希釈。
せわしいのに、
なぜか満足感がない理由、
ここです。
体験は「一点集中」じゃないと、染み込まない
ごはん食べるなら、
食べる。
動画観るなら、
観る。
学ぶなら、
学ぶ。
それだけでいい。
一つの体験に、
五感を全部使う。
すると不思議と、
満足度が跳ね上がる。
量じゃなくて、濃さ。
たくさんやった日より、
「ちゃんと味わった日」のほうが、
心に残るんです。
まとめ:人生、ながら食いすると薄まる
あの日の弟一家。
きっと、
唐揚げの味も、
ラーメン動画の中身も、
どちらも残ってない。
でもそれ、
誰かだけの話じゃない。
便利さに慣れすぎたわたしたちは、
気づかないうちに
自分の体験を粗末に扱ってる
のかもしれません。
人間は、体験をしたくて、
そこから生まれる感情を味わいたくって
この世に存在しているといわれます。
せっかくの一期一会のこの体験を、
そんなふうに扱ったらもったいない!
目の前の唐揚げと向き合え、弟よ!
だから次にごはんを食べるときは、
スマホを伏せてみてください。
次に学びの動画を見るときは、
手を止めてみてください。
一つの体験を、
ちゃんと味わいきる。
それだけで、
人生の満足度、
確実に上がります。


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