苦手というレッテルを貼る前に。そこ、あなたの才能が眠ってるかも

ディマティーニメソッド

先日、久しぶりに会った友達が
「私って〇〇が苦手だからさ〜」
「△△ちゃんみたいに器用じゃないし〜頭よくないし~」
「私太ってるし~」

う~む。このフレーズ、
人生で何回口にしました?

たぶん、
数えきれないほど
です。

苦手だからやらない。
向いてないから選ばない。
才能ないから諦める。

……いやいやいや。

ちょっと待ってください。

めんどくさくてやりたくないから言い訳にしてるだけ、とか
上手くできなかったときの予防線張ってるだけならともかく。
もしほんとーーーにそう思ってるなら、

それ、
誰が決めたんですか?

あなたが自分に貼った、そのレッテル。

「数字が苦手」
「人前で話せない」
「継続できない」
「要領が悪い」

そのラベル、
いつ貼りました?

学生時代?
昔の上司?
親の一言?
それとも、たった一度の失敗?

ちょっとつまずいただけで、
“一生このキャラ”
みたいに扱ってません?

冷静に考えてください。

人間、
成長しない前提で生きるの、
雑すぎませんかー?

「苦手」は、才能の影だったりする。

ディマティーニ・メソッド的に言うと、
あなたはその正反対の性質も示しているはずなんです。

わたしは車の運転が苦手っていう人も、
車を上手に運転できた瞬間があるはず。
駐車を一発で決められたり。

自分は人前で話すのが下手だと思っている人も、
過去に落ち着いてクラスメイトの前で発表ができた瞬間、あるでしょう。

あなたはいつも必ず失敗したり、上手にできない人なんかじゃあないのです!

それにですね。

集中しすぎる人は、視野が狭い。
空気を読む人は、言いにくい。
慎重な人は、動きが遅い。

でもそれって、
裏返せばどうでしょう。

深く考えられる。
相手を感じ取れる。
失敗を避けられる。

「苦手」って言葉で一刀両断するには、
あまりにも雑。

それ、
ただの才能の裏面
かもしれないんですよ。

断言します。あなたは才能の塊。

人は全員、
才能の塊として生まれてます。

ただし問題があって。

その才能、
「最高価値」に沿って使われない限り、
眠ったままです。

価値が低いことをやろうとすると、
人はサボる。逃げる。後回しにする。

で、こう言います。

「私、才能ないんだよね」

違う。
場所を間違えてるだけ。

才能は「頑張る場所」じゃなく「合う場所」で咲く。

人は
自分の最高価値に沿って生きていると、
自ら進んでそれをやりたくなる。
努力してる感覚すらなく。
どんどんアイデアがわいてきて、
周りからのサポートも入って、
そして自然に成果がでてしまう。

逆に、
価値の低いことをやろうとすると、
気合いと根性と自己否定のフルコンボ。

それで疲れ果てて、
「自分はダメだ」って結論に至る。

でもね、自分で~が苦手と思っていても、
周りからはそんな風に評価されてないってこともよくあります。
その場合、自分自身へのハードルがめちゃくちゃ高いのかもしれません。
「俺はまだまだこんなもんじゃねえ」、が努力に結び付くのではなく、
自己否定に向かってしまうのは厄介です。

「できない私」を責めるの、もう終わり。

できない理由を、
性格のせいにしない。
年齢のせいにしない。
才能の有無にしない。

その代わりに、
こう問いかけてみてください。

「これ、本当に私の最高価値に合ってる?」

自分に貼ったレッテルを、今すぐ剥がそう。

「私は〇〇な人間」

その“〇〇”、
本当にあなたの本質ですか?

それとも、
過去の出来事を雑にまとめた
仮ラベル
ですか?

ラベルは、剥がしていい。

むしろ、
剥がさないと
才能が窒息します。

まとめ:あなたは、もう十分すごい。

これだけは声を大にして言いたい。

あなたは、
「何者かにならなきゃいけない存在」じゃない。

すでに何者かである存在
です。

足りないのは才能じゃない。
努力でもない。

ただ、
自分の価値を正しく見極めて、
そこに生きる勇気。

自分を小さく定義するの、
そろそろやめませんか。

私って~だから、を書き出してみて、
「ほんとにそうか?そんなことないよね」と
ネガティブなものは全部はがしちゃいましょう。

それは才能の開花にとって余計なものであって、
あなたの可能性を狭めるものです。

どうしてもなんか貼りたいなら、
「なりたい自分」のレッテル貼ってみてください。

目覚めよ、才能!
伸びしろ無限大!

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